2010年8月1日日曜日

バーチャルと現実と道具について

さっきテレビを見ていたら、ネットにはまり虚構と現実の区別ができない人が


増えてきているという内容をやっていた。


ネットは匿名で無差別に人を簡単に攻撃出来るので


現実社会でうまく行かなくなった人が居心地がよくなってしまい


生身の人間である他人を感じなくなってしまう。


僕も最近はmtg以外は引きこもりがちなので


確かにネットは簡単に人とつながっている感を味わえるので


心地よいのもわかるなって思う。


しかしこれはあくまで自分が楽しむ道具の一つでないと


まずいと思う。


僕たちが生きる方向は現実であり生の人間関係である。


それはmtgやステップや伝統、セミナーなど自助活動にも


同じ事がいえると思う。


この活動も間違った方向に行けば新興宗教となる。


自分たちの世界で満足し社会と敵対し新しいものを築こうとする。


自助活動を道具としてとらえ、アディクションを抱えつつ回復し


どう現実社会で自立して生きていくのか??が目的だ。


道具も間違った使い方をすれば危険な道具になる。


今までの自分は道具を見つけられなかったり


うまく使いこなすことが出来なかった。


自分は、お金に支配されギャンブルや浪費にのめりこんだ。


これからはmtgやステップという道具を道具としてきちんと使い


自分が生きていけるよう努めていきたいし


自分自身も自分を超えた大きな力の道具として


自助グループや家族や社会で役に立つ人間でありたい。

4 件のコメント:

あき@いわきギャマノン さんのコメント...

>自助活動を道具としてとらえ、アディク
>ションを抱えつつ回復しどう現実社会で
>自立して生きていくのか??が目的だ。

いや~これは、身にしみる言葉ですね。
共依存の人間は、支配欲強いですから、変な
派閥作りたがりますから、私も気をつけないと。

だいちゃん さんのコメント...

あきさん

お久しぶりです。

なんか居心地いいんですよね。

自助グループが。

ここが生きる空間だと思ってしまいます。

仲間を助けるなんて正義をふりかざし

気がつけばグループや仲間を支配したり

先行く仲間に依存したり・・・

仲間の話聞いて思ったのは

別に生きていけるなら働かなくても

それはそれでいいのかなって

思いました。しかし

それでもアディクションを止めつつ

自立した生活を社会ですることが

目的でないと知らず知らずに

元の自分から抜け出せない自分に

気づくんですよね。

ようこ さんのコメント...

だいちゃん、実はね、グループでは言わないけどね、自助会は、社会での人間関係を築いていける前に、練習する場所だ、と、私は思っているの。
しかし、通い続ける事には、意味があると、最近思うのは、逆に、通い続けなければ、自分に気がつかない事と、そもそも、自助会がそういう所だ、という事に、気付けないからかな、と思う。

だいちゃん、生きる場所は、やはり、現実にある、そう思う。

ステップと伝統を生かす場所も、最後には、自分の身の回りにあるのだと、そう思う。

「今の自分でいいんだ」

を、共有する場所でもなければ、

「気が合う人、この指とまれ!」

でも、ないことを、私は、自分が、グループを作り、ぶっこわそうとして、今頃気がつきました。

自立、自律。

それは、自由への扉。

だけれど、自立、自立、と、白黒つけすぎるのも、また、おかしい。
自立と、依存、その中間に、きっと答えがある。そんな気がする。

その気持ちを、社会では言うわけにはいかないし、言う人もいない。

そういう意味で、自助会は、大事な所だな、と、最近思います。

BEN さんのコメント...

以前は、社会=会社と思ってるくらいの人間でした。

なんか、今は、社会とか家族とかいろいろと定義をかんがえるより、もっとざっくばらんに、
いろいろとかかわって、生き残れればな~くらいに考えてます。

僕も、最近暑くて、ひきこもりがちです。

ひきこもりではなく、たてこもりにすると、

もう少し気が楽かもしれないな~と考えたりします。

だいちゃんに刺激されてか、図書館で

香山リカ「ネット王子とケータイ姫」借りちゃいました。