2010年7月18日日曜日

実家へ報告

うちの実家は、目と鼻の先で歩いて1分のところに住んでいるが


会うのは2ヶ月に1回位。


親も自立を望んでおり干渉して来ないしこちらも用がないと顔出さない。


職業訓練辞めた話は、しとかないとと思い


昨日自助グループの合間に行ってきた。


いきなりその話からだと気まずいので、国民年金と国民健康保険を


わからないふりをして教えてもらう作戦で相談してみた。


そして本題の鬱がひどくなり学校をクビになったという話と


妻とも別居するの話になり今もあまりうまく言ってないという話をした。


父は、なんで思えは何度も鬱を繰り返すんだ。


奥さんも早く社会復帰してもらいたいのに、もう何年も鬱を繰り返すから


面白くないんだろ。そのくせ仕事は行かないのに自助グループには行く。


ほんとは仕事にも行けるが逃げてるだけだと思ってるんだろ。


私が思うに病気に逃げていてはだめなんだ。


お前は調子よくなると、なんだか知らないけど遠くに行ったり一生懸命


動きすぎる。普通の人は調子いいときも我慢して体を休めているんだ。


何度も同じこと繰り返してるんだから、どうしたらダメとか自分で考えてみないと。


私は医師ではないから素人考えになるけれども


とにかくGAに行くのもいいが、仕事を第一優先に考えて生きていかないと


私たちだっていつまでも生きているわけではないんだから


もう自分たちの力で生きてもらわないと困る。


そりゃあ、奥さんだって毎日朝から晩まで仕事して家事もやってたら


休みくらいはゆっくりしたいしギャマノンまで気持ちがまわらないのもわかる。


とにかくお前が早く社会復帰することが一番じゃないのか?


そして母は、でも今借金してないしギャンブルもしてないんでしょ?


それはいいことなんじゃないと言ってくれた。


とにかくお金はあるけれども、自分たちで生活出来るとこまではやってみて


どうにもならなくなったら相談しろと言ってくれた。


家計は妻にまかしてるからわからないが伝えるよと言った。


お米もってけと10キロもらった。


うちの両親はギャマノン行ってないが、母が鬱でずっと薬服用してるため


多少鬱に関しては理解があるが、父は経営者だから病気については厳しい。


昨日もお前の今の状況じゃ、うちでも雇わないぞって言ってくれたよ。


落ち込むとすぐ休むような見通しつかない社員では会社的には困るって。


でも父の話を冷静に昨日は聞くことが出来た。


話の中で病気を分かってない部分もあるが、的を得てることも多々あった。


それは自助から社会に出るにあたって病気の自分には厳しいが


超えなきゃならない壁なんだと思った。


こういった普通の人と向き合い生きていく。


それこそが本当の意味でのプログラムの実践であり行動なんだなと。


今は鬱で自助グループに依存しても仕方ないにしてもいずれは


父の言うように仕事や家庭とのバランスをとって生きなければならないな


ハイヤーパワーの意志と共に。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

だいちゃん、私の両親は、私が鬱病であることを、ずっと、否定していました。
なにかと言うと、
「そんなに元気なんだから、鬱なんかじゃないよな、な、洋子。」
これに対して、どうコメントしていいいというのか。

私ね、四日市にいたときに、満夫くんに、毎日死んでくれ、といわれて時、親に電話したの。

「もう、どうしようもないよ。家に帰りたいよ。」
そしたら、母が、
「帰ってくるなんて、私たちはお金もないし、近所にも恥ずかしいし、出来ないよ。そんな事をするんだったら、どこかの母子寮にでも入りな。」
と、言われた。

そうだよな、恥ずかしいよな、と自分でも思った。

だから、『帰らないよ、解ったよ。」といった。

しかし、その日の夜中、父親から電話がきた。

「ようこ、今から、おれ、行くよ。明日の朝には着くから。」

隠れて電話をよこしたんだろうな。

ものすごく、嬉しかった。

私は自分が病気なことも知らず、毎日、ほとんど寝ないで、幸せを運ぶという掃除を、夜中中、していた頃だった。

「いいよ、こなくても、私、大丈夫だよ。」

大丈夫じゃないけれど、そういった。

その、父親の気持ちが、痛いほどに、嬉しかった。
もう、これでいい。

そして、私は死に場所を探しにいった。

一発で、死ねる場所。

人にあまり迷惑のかからないところ。

見つけた。

決行しようと、ある夜、行った。

高い、高い、ビルの上。

そこには、屋上に入れたのだ。

たって眺めたら、怖かった。

足が動かない。

だから、へりに座ってみた。

手で、一押しすれば、すぐだ。

やろう、これで、楽になるし、満夫君にも、最後のプレゼントをあげられるだろう。

でもねえ、勇気がでない。

その一歩、あと一歩、出来なかった。

その時、思った。

「こんなにも勇気がいるのならば、私が死んだら施設にいくであろう、晃司のために、私は帰ろう。10年間、10年間だけ、自分の精一杯の善意と理解を尽くし、生きてみよう。」

今、私は帰ってこれた、あの瞬間に感謝している。
こういう事の気付きこそ、神様からの贈り物な気がする。

だいちゃん、鬱は、なった人しか、解らないよ。あの、どうしようもない、解っているけれど、どうしようもない、あの気分の変調。

絶望感。

あれは、よっぱらい、という以前に、病気だから、今は、自分を大切にしたほうがいいんじゃないか、と思う。

だいちゃんの、おかあさんは、いい人だね。

見守っているのだと、思う。

大丈夫、だいちゃん、どうにかなるよ。


おかあさんは、だいちゃんが、生きて、健康であることを願っているのだと思うよ。

そういう人が1人でもいる、ということは、素晴らしいことだ、と思うんだ。

今は、私は、家の人間に、「ぽんこつ」とか、『猫の生まれ変わり」とか、言われているけれど、もう、壊れてしまった娘だから、しょうがない、頑張って帰ってきた、この娘と生きていく、そう覚悟を決めたようです。


そうなるまでには、彼らも、葛藤があったと思う。
今までの彼らの価値観ではない、何か。

お母さんも、すぐ、酔っ払うけれど、移り気だけれど、そう思ってもらえて、
「しょうがないね。」

そう認めてもらえて、私は今、幸せです。

小さい頃から見せてこなかった、等身大の自分に初めて今、なれました。

みんな、みんな、人間でした。

ぽんこつの寄せ集めでした。

その中で、それぞれが、自分の中で、誰にも伝える事無しに、頑張っていたようです。

ぽんこつ家族。

それが、私に一番、お似合いです。

それが、私は、嬉しいです。

だいちゃん さんのコメント...

prqkc574@yahoo.co.jpさん
素晴らしいコメントありがとう。

これは泣けました。

僕にはポンコツであることを認められない

プライドがやっぱまだあるのだと思う。

それがアディクションの元凶なんだけどね。

僕にとっては、鬱こそが無力を認めなければ

ならない1番のものかもしれない。

STEPをもらい行動しつつ鬱になってみて

改めて思いました。

だからACAのmtgにも参加しました。

過去の家族分析や自己分析をして

なるべくして鬱にはなってしまったんだと

仲間の話を聞いて思いました。

そしてなってしまった以上は現代医学では

まだなかなか完全治癒しにくい病気なので

向き合っていくしかないんだと・・・

それはポンコツでもいいから

周りに受け入れてもらう努力を

STEPを道具として使い

仲間と分かち合い

していきそんな自分でも生きやすい

環境を作っていくことなんだ

と気付きました。

いずれ感情のグループEAも作って

沢山の苦しんでいる仲間の

心の居場所を作ってあげたいです。