2009年11月16日月曜日

寂しがりやさん

昨日スカイプをやっている時に、スポンサーに寂しがりやさんと言われ否定した僕ではあったが、でも20周年などのセミナーの後、みんなの手と手が離れた瞬間、ここのところスリップにつながる不可解な行動をしている自分を分析すると確かに誰かと一緒にいたいのかもなと思う。

特にイベントのあと、女性と一緒にいた時もしくはそれをイメージする風俗やキャバクラ、ラブホテル、胸の谷間深い女の子、自分好みの女性、女性がかわいいカップル、足の綺麗な女の子、香水、女性の自分にたいする目線などを感じた時が危険だ。

僕は母にかわいがられたいために鬱の母に支配されて育ったから理不尽なことも我慢していたためか、女性に対しての支配欲は強い気がする。それはどちらかというと付き合いよりもSEXに対してだと思う。

青年時代は女性に対する恋心や恨みを抑圧して生きていた。
合コンに誘わてもバンドに誘われても、ナンパしようと誘われても風俗行こうと言われてもギャバクラも断った。

それは純で汚い部分のない女性を求めているんだという妄想で固め、偶然の出会いを運が与えてくれてると開運グッズを買い集め信じていた。現実から逃げていた。

それは女性も同じ人間で人として良い部分も悪い部分も抱え生きていることなどこれっぽっちも考えず、利己的で身勝手な考えだった。

やがて、孤独感に耐えキレず、自分の見た目でいいと思うとたいした接点がなくても告白しまくるのだが、タイミングをわきまえなかったし、女性をお姫様気分やロマンチックにさせたり楽しませたりするその部分を僕は楽しむことが出来なく省いていて唐突でことごとくふられていた。

性が先にきてるからまるで超肉食系で僕の性格や顔や身長やメタボでは 無理難題だったな。

話は戻るが、じゃあ、男性同士なら大丈夫か。

昨日はスカイプで隣に妻がいたので強く言えなかったが、最近はミーティングのあと、そんなに孤独感を感じなくなった。神が見守ってくれているという信頼感がそうさせていると思う。

でもじゃあ、女性の仲間と行動が一緒なら危険かというとそうじゃない。

自分には女性を思い通りにしちゃいけないという強い理性があり、それをテンション上がると取り払いたいと思いアディクションに逃げるようだ。

つまり青年時代の女性の抑圧や母の支配からの解放をテンションが上がるとしたくなる。

しかしそれは思い通り女性ライフを生きてこれなかった心の傷を蒸し返し、女性へと向かわずアディクションに逃げてしまうのだ。

何が悪いって。
周りが悪いのではない。身勝手な自分、利己的な自分で思い込みが激しくなり間違った行動をしてきた己にあるな。

でもあの時があるからこそ今の良いところも沢山あるだいちゃんがいる。

神に取り除いてもらい許そう。そして過去も今も受け入れる。

それでも性格で出てくる時、これこそ平安の祈りなんだな。
今日1日、いや今この時の猶予を頂こう。

寂しがりさん、それは自分を否定されたわけでも肯定されたわけでもない。

今ここに自分がある、それでいいのだ。をたえず知らせてくれる

道しるべのシグナルなのだろう。

2 件のコメント:

あい さんのコメント...

淋しさはきっと心の奥底に誰しもが抱いてる物だと思います、もちろんこんな時代だし
異性に求めてしまうのも共感できる所でもあります
私も、ここに繋がるまで、病的に依存を男性にしていた、なんでもしてきたようなぁ~
貢いだり・・・でもそこには、欲しがっていた愛情は無かったし、今は男性依存をしていなくても、なんとなく愛情を感じる事が出来ていたりしてます

女性と男性の違いってあるけど、声に出せる事って素晴らしいと思いますよ

今の私にはまだ見えて来ないけどきっと
男性を強く求める時期も来るかも知れないし
それを越えて今まで見えなかった本当の愛情を見つける事が出来るのかな~?って
私には、未知の世界を歩んでいる、だいちゃん、更なる前進勉強させてもらってますよ^^

だいちゃん さんのコメント...

自分のハートがかけている愛を女性で埋めても性に逃げたり共依存でお互い傷つけあうことは知識で知っています。
でも本能が愛(性)を求めるんだね。
仮に仲間同士でつきあったり結婚したとき、スポンサーとスポンシーの関係、仲間同士回復し成長しあう関係、さらにもう1つ上の愛し合う関係までいきたいですね。
うちは妻がギャマノンいけば仲間同士になるのかな。まあ将来はどうなるかわからないな。